川口簡易裁判所 昭和43年(ろ)1号 判決 1969年6月05日
主文
被告人を罰金一、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
一 被告人は、昭和四二年一月四日午後三時一五分ころ、普通貨物自動車を運転して、川口市北町二丁目一五二番地先にある京浜東北線線路の東側と西側とを結ぶ通称西川口陸橋上の幅員約九・六メートルの取付道路を、川口市並木町方面から同市仁志町方面に向け、時速約三五キロメートルで西進し、右陸橋西端にある、右陸橋取付道路とその南北両側にこれと並行してはしる幅員各約六・二メートルの道路とが、東西約四三メートルにわたつて交わる交通整理の行なわれていない変形交差点において、同交差点で前記陸橋北側の併行道路へUターンをする形で進入するため、車両の回転軸を中心とすれば、ほぼ一八〇度となるような右折をすることとなつた。
二 当時右陸橋上の道路および交差点内には、他に通行する車両は存在しなかつたし、右陸橋取付道路の幅員は前掲のとおり約九・六メートル(片側約四・八メートル)あり、かつ出口より西側交差点内の道路総幅員は約二二・七メートルでかなり広くなつているけれども陸橋の頂上から西側下端出口までは、右へ弧を描くゆるい曲線をなしており、その左右両側には、出口の端まで、基底部の幅約〇・三五メートル、高さ約〇・八五メートルのコンクリート製下部の上に鉄製パイプの手摺り部分を載せた高さ約一・二メートルの欄干が設置されてあるため、陸橋を下つてくる車両からみると、出口はかなり狭ばまつて見えるので、先行する車両が、たとえ道路中央線付近を進行していたとしても、その左側を通常の速度で通過することはかなり困難であると予想される道路状況にある。
その上、被告人は、車幅約一・六九五メートル、車長約四・六九〇メートルの車両で、この交差点を一八〇度右折するのであるから、九〇度右折すれば足りる通常の交差点における右折に比し、前掲のような各道路の幅員状況においては、その速度とハンドル操作とに技術上の困難を伴うことが予想される右折である。
三 被告人は右陸橋出口(交差点入口)より約七~八〇メートル手前で右折の合図をしたが、それより前、交差点入口より約八~九〇メートルの地点で、後方約七〇メートルの地点に、自車と同方向に進行してくる米沢延治運転の小型四輪貨物自動車を認めた。右米沢の車両は車巾約一・六九メートル、車長約四・三三メートルであるところ、被告人が自車を時速約二〇キロメートルに減速しつつ陸橋出口より約十数メートルの地点に達した際には、右米沢の車両は、被告人車両の右斜後方約十数メートル付近に、かなりの高速で接近しつつあるのを認めた。
四 このような後続車両の状況を認識しており、このような道路状況の下で、このような交差点を一八〇度に右折しようとする自動車の運転者としては、道路の総幅員が約二二メートルに広くなつている交差点内に、後続車において自車の左側を通過できる余地あるまでに前進して、右折を開始するかもしくは後続車の通過をまつて、右折するなどして、後続車との衝突による危険の発生を未然に防止し、もつて他人に危害を及ぼさないような方法で安全に運転すべき注意義務があるのにこれを怠たり後続する米沢運転の車両が自車に接近する前に右折し終るものと軽信して交差点入口(陸橋出口)から約二・一メートル交差点内に進入した地点で右折を開始した過失により、被告人車両との衝突による危険を避けようとして急ブレーキを踏みつつ右へ避剰の措置を講じた米沢運転の車両の左前部を、自車右側後部ドア付近に衝突せしめて、もつて過失により道路、交通及び当該車両、後続車両等の状況に応じ他人に危害を及ぼさないような方法で運転しなかつたものである。
(証拠の標目)(省略)
なお、弁護人は「右折の合図をして中央線付近を進行している車両の運転者は、あえて自車の右側へ出てその前面を突破しようとする車両のありうることまで予想する義務はない」という信頼の原則の適用を主張するので、右原則が本件に妥当するか否かについて判断する。
一 まず、それに先立つ事実認定の問題として、被告人の車両があらかじめ中央線に寄つていたか否かについて述べると、司法警察員作成の実況見分調書、被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書、証人米沢延治、同米沢明子の当公判廷における各供述、被告人の当公判廷における供述を総合すると被告人運転の車両は道路中央線に寄つていなかつたとみるのが合理的である。
被告人は、当公判廷において終始中央線付近を運行していた旨供述し、当裁判所の第二回検証の際にも、車両右側が中央線上となるような位置を指示したけれども本件事故発生の直後、被告人自身の指示に基づき司法警察員吉沢正美によつて作成されている実況見分調書によれば、被告人の右折開始地点は中央線から一・六メートル左寄りの地点であり、右地点が被告人の運転席の位置であるとすれば、車両右側から中央線までにはほぼ一メートルくらいの間隔があつたと認めるのが相当である。右実況見分の際の指示説明について、弁護人は、被告人が、当時東西(前後)の位置を指示したのであつて、南北(左右)の位置を指示したものではない旨主張しているけれども、事故直後、事故現場において、被告人自身が右折開始地点として「此処」であると指示したのは、前後左右を問わず、その地点で右折を開始した趣旨とみるのが自然であつて、たとえ被告人において前後を特に意識して指示したにせよ、左右に一・六メートルも差が生ずるということは、片側幅員四・八メートルの道路であることを考慮に入れるときは、前示認定の合理性を揺がすに足りる弁解ということはできない。
右実況見分調書の被告人の指示説明、同調書における米沢延治車両のスリップ痕、これから推定される米沢の避剰の状況、証人米沢延治、同米沢明子の当公判廷における供述、被告人の司法警察員および検察官に対する供述調書、ならびに、被告人が当公判廷で時速二〇キロメートルのまま一度にすらつとまがつた旨述べている点、当時の道路状況、交通状況、被告人の右折方法等諸般の状況を総合すると、被告人の車両は、道路中央線に寄つていなかつたと認めるのが相当である。
二 信頼の原則が適用されるためには、自動車の運転者が、自ら交通法規を守つていることが必要であつて、運転者に当該事故の起因となる交通法規違反がある場合には適用されないものであるところ、被告人は、前記のとおり、道路中央線に寄つて走行していなかつたと認められるのであつて、道路交通法三四条五項によれば、右折しようとする車両が、道路中央に寄ろうとして方向指示器による合図をしたときは、その後方にある車両は、当該合図をした車両の進行を妨げてはならない旨規定されてはいるけれども、同法三七条一、二項および三五条一項によれば、交差点で右折しようとする車両は、たとえ交差点に先入したとしても、右折を終るまでは、当該交差点で直進しようとする車両の進行を妨げてはならない旨規定されており、この場合の直進車両とは後続直進車両も含むと解すべきであるから、本件被告人のようにあらかじめ中央に寄つておらず且つ至近距離にある後続直進車両を認識している運転者としては後続直進車両の進行を妨げてはならない義務があるというべきである。
三 又、仮に被告人の弁解のとおり、被告人の車両が道路中央線に沿つていたとしても、判示のとおりの道路、交差点状況にあり、且つ被告人車両は一八〇度の右折という特殊な右折方法である上、被告人は後続車両が異常な高速で、至近距離に接近していることを認識していたものであつて、既に後続車の異常な状況を認識している運転者には、その車が交通法規に則つて運行するであろうことに対する信頼は破られているとみるべきであつて信頼の原則はこのように他人が交通法規違反の行為に出ることが具体的に予想されるような特別の状況がある場合には適用されないのである。
四 従つて本件のような場合には運転者に対して信頼の原則は適用されないと解するのが相当である。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、道路交通法七〇条、一一九条二項、同条一項九号の過失安全運転義務違反罪に該当するところ、被告人の判示のような過失行為は、ひるがえつて考えてみれば、米沢において被告人車両の右折合図に気づかないで高速進行して来たため、被告人においてこれとの衝突を避けようとして、あわててそのまま右折したことによるのであつて、被告人においても不充分ではあつたが安全運転に配慮したことは認められるので、右の点をも考慮して、所定金額の範囲内で、被告人を罰金一、〇〇〇円に処することとし、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に全部これを負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。